山田水産株式会社(やまだすいさん)は、長崎県長崎市に本社を置く水産会社である。
概要
114-164総トンの底びき網漁船8隻(うち4隻は子会社の長運水産(株)所属)を保有し、北緯25度以北・東経128度30分以西の東シナ海における底びき網漁業(以西底びき網漁業)を行っている。日本国内の以西底びき網漁業専業の事業者は、2001年以降、山田水産グループのみとなっている。
以西底びき網漁業は、東シナ海の豊富な水産資源を背景に、第二次世界大戦後、西日本の水産業において主要な地位を占め、長崎市のほか福岡市・下関市にも多数の漁業者が存在していた。主な漁法は、底びき網の両袖部に各1隻の漁船がついて引く二艘びき底びき網である。最盛期の1965年(昭和40年)には759隻の以西底びき網漁船が操業していたが、1970年代以降、乱獲による資源状況の悪化を背景とした規制強化や、魚価低迷・燃料油高騰による経営悪化等から減船が進み、更に1990年代に入ると、円高による輸入魚の急増や、漁場における中国・韓国漁船の急増等で経営環境が急速に悪化したことから、転廃業が激増し、大半の漁業者は撤退に至った。2021年(令和3年)現在、以西底びき網漁業の操業許可を受けている漁船は、山田水産グループの8隻のみとなっている。
保有船
子会社の長運水産所属船を含め8隻の底びき網漁船を保有し、二艘びき4組を構成する。
- 第三山田丸
- 162総トン 乗組員12名
- 第五山田丸
- 162総トン 乗組員12名
- 第二十一山田丸
- 164総トン 乗組員13名 長崎造船建造
- 第二十二山田丸
- 164総トン 乗組員11名
- 第一長運丸
- 114総トン 乗組員12名
- 第二長運丸
- 114総トン 乗組員11名
- 第六長運丸
- 162総トン 乗組員12名
- 第七長運丸
- 162総トン 乗組員12名
沿革
- 1905年(明治38年) - 創業者山田吉太郎・鷹治兄弟が魚問屋業を開業。
- 大正年間 - 漁業に進出。
- 1965年(昭和40年)12月 - 法人化し、山田水産株式会社に改組。
- 1969年(昭和44年)12月 - 長運水産株式会社を設立。
- 2006年(平成18年)7月 - マルシップ制度を導入。
- 2012年(平成24年)1月 - 運搬船への洋上転載方式を廃止。
関連会社
- 長運水産株式会社
- 以西底びき網漁業
- 山田屋石油株式会社
- 石油製品卸売業
- 山田鉄工株式会社
- 陸用・舶用内燃機関修理業
- 山田屋商店株式会社
- 不動産賃貸業
- 山一商事株式会社
- 不動産賃貸業
脚注
外部リンク
- 山田水産株式会社




