高 永民(コ・ヨンミン、ハングル:고영민 1984年2月8日 - )は、大韓民国の全羅南道潭陽郡出身の元プロ野球選手(二塁手)、野球指導者。右投げ右打ち。
2008年北京オリンピック 野球 金メダリスト。
経歴
ソウルの城南(ソンナム)高校から2001年2次ドラフトで斗山ベアーズから指名され入団。入団5年目の2006年は頭角を現し始め、チームも世代交代を図り二塁手のレギュラーに定着。2007年にはゴールデングラブ賞を初めて受賞。
2008年北京オリンピックの韓国代表として抜擢される。台湾戦では決勝本塁打を放つなど活躍し、金メダルを獲得。
2009年、第2回WBC韓国代表として抜擢され、鄭根宇とともにセカンドとして併用された。メキシコ戦にてオリバー・ペレスから本塁打を打ち、大会中の成績は打率.308を残す。しかし、決勝戦の日本戦では、本来最大の武器としている守備や走塁も得点につながる失策や、左翼に打った長打コースを内川聖一に好捕されるなど、あまり良い印象は残せなかった。レギュラーシーズンは開幕から不振で、負傷による長期離脱もあって成績は低迷した。しかしポストシーズンでは、SKとのプレーオフで2本塁打を放ち勝利に貢献するなど、存在感を示した。
2010年も怪我などもあって前年同様成績不振で、2塁手のレギュラーの座を呉載元に譲るようになってしまい、存在感が薄れてきている。そのため年俸も大きく下がり、心機一転を図ってからか2011年から背番号を長年親しんだ14から3に変更した。
しかし成績は全く向上せず、2011年シーズンの最終戦となった10月6日のネクセン戦の9回表、普段は右打ちなのになぜか左打席に入り三球三振に倒れ、場内の失笑を買った。
2012年からまた背番号を14に戻したが、相変わらず故障が多く出場試合数は少なかった。同年にはアジア野球選手権(11月28日-12月3日)の韓国代表に選ばれた。
2013年以降も相次ぐ負傷や故障で出場機会が増えなかったものの、2015年シーズンオフにFA(フリーエージェント)を行使し、1年契約とオプションの1年で斗山と再契約した。
しかし8試合しか出場できなかった2016年シーズン終了後に自由契約となった。結局現役を引退し、2017年よりKTウィズのコーチに就任した。
2019年よりコーチとして斗山に復帰する。
2024年よりロッテ・ジャイアンツのコーチとなる。
プレースタイル・人物
球をじっくり見るスタイルなため三振・四球ともに多く打率は高くないが、出塁率は高い。走者としては速い足を活かして塁上をかき回し、守備にプレッシャーを与えていた。かつてチームメイトだった李鍾旭(イ・ジョンウク)とともに、2008年ごろ韓国で「陸上部」と呼ばれていたこともある。
守備では幅広い守備範囲を誇り、深い守備位置からライト前に落ちてヒットになりそうな打球もアウトにできる。前方のゴロの処理も足を活かして素早くこなし、1、2塁間にいく打球はヒットにしないことで相手打線に悩みを与えている。
詳細情報
年度別打撃成績
- 各年度の太字はリーグ最高
背番号
- 14 (2002年 - 2010年、2012年 - 2016年)
- 3 (2011年)
- 90 (2017年 - )
タイトル・表彰
- ゴールデングラブ賞(2007年)
脚注
関連項目
- オリンピックの野球競技・メダリスト一覧
外部リンク
- 通算成績(韓国語)
- TBS WBC'09でのプロフィール



