林 希逸(りん きいつ、1193年 - 1271年)は、中国南宋の儒者。主著に三教合一的な『老子鬳齋口義』(ろうしけんさいこうぎ/くぎ)『荘子鬳齋口義』があり、中国よりも江戸時代の日本で盛んに読まれた。
人物
『宋元学案』巻47や『万姓統譜』、『閩中理学淵源考』に短い伝がある。
字は粛翁、号に竹渓、鬳齋。福清(現福建省)の人。端平2年(1235年)進士となり、秘省正字・司農少卿・中書舎人などを務めた。
子孫に渡日僧の即非如一がいる。
著作・学問
『老子』『荘子』『列子』に対する注釈書『老子鬳齋口義』『荘子鬳齋口義』『列子鬳齋口義』(通称『三子口義』、伝本によって題が異なる場合あり)があり、「儒老合一」「仏荘合一」「老荘分離」的な解釈を特徴とする。
その他の現存著作に『竹渓膚斎続集』、『考工記解』、枯崖円悟『枯崖漫録』跋、劉翼『心游摘稿』序がある。散佚著作に『易義』『春秋伝』がある。
林艾軒の学統(艾軒学派)に属する。艾軒は程門の後裔であり朱熹の知人でもある。艾軒学派は次第に三教合一的になり、特に希逸は大慧宗杲の看話禅にも通じていた。
日本における受容
江戸時代には、三子口義、なかでも儒老合一的な『老子鬳齋口義』が盛んに読まれた。そのきっかけは林羅山である。元和4年(1618年)、羅山は『老子鬳齋口義』に訓点(道春点)と頭注、序を附して出版した。さらに正保2年(1645年)、羅山は同書にもとづく和文注釈書『老子抄解』を執筆した。
三子口義の前に主流だった注は、『老子』は河上公注、『荘子』は郭象注、『列子』は張湛注だった。その中で、惟肖得巌ら五山文学僧が三子口義を先んじて受容していた。羅山が三子口義と出会ったのも、14歳のとき建仁寺で英甫永雄のもと『荘子鬳齋口義』を講読したのがきっかけだった。
三子口義が主流の注になると、佚斎樗山『田舎荘子』などにもその解釈が反映された。一方、陳元贇や貝原益軒、太宰春台ら徂徠学派、東条一堂ら折衷学派は、三子口義の解釈を批判した。
脚注
参考文献
- 荒木見悟「林希逸の立場」『中国哲学論集』第7号、九州大学中国哲学研究会、1981年。 NAID 120002386628。https://doi.org/10.15017/18068。
- 大野出『日本の近世と老荘思想』ぺりかん社、1997年。ISBN 9784831507686。
- 武内義雄「日本における老荘学」『武内義雄全集 第6巻 諸子篇1』角川書店、1978年(原著1937年)。https://dl.ndl.go.jp/pid/12213729/1/118。
関連文献
- 池田知久「日本における林希逸『荘子鬳齋口義』」『道家思想の新研究 『荘子』を中心として』汲古書院、2009年。ISBN 9784762928512。
- 松下道信 主編、小島毅・横手裕 監修『林希逸『老子鬳齋口義』訳註稿』東京大学大学院人文社会系研究科、2005年。NCID BA79578959
外部リンク
- 林希逸 - 中国哲学書電子化計画




