大橋 一郎(おおはし いちろう、1933年12月20日 - )は、愛知県出身の元プロ野球選手。
経歴
愛知高では1952年夏の甲子園に三塁手として出場。エース岡部博(愛知学院大-電電東海)を擁し2回戦に進むが、橋本力のいた函館西高に敗退した。1年下の控え捕手に平岩次男がいる。
高校卒業後、1953年に国鉄スワローズに入団。愛知高校からは初のプロ野球選手となった。打撃は非力だったが、内野のユーティリティープレイヤーとして活躍した。1957年には主に三塁手として21試合に先発出場。同年8月21日にエース・金田正一が完全試合を達成した試合(中日戦〈中日スタヂアム〉。ダブルヘッダーの2戦目だった)にも、三塁手として先発している。1958年には主に外野手として起用されるが、同年限りで国鉄を退団。
その後、社会人野球の天王寺鉄道管理局でプレーした。
詳細情報
年度別打撃成績
背番号
- 47 (1953年 - 1954年)
- 32 (1955年 - 1957年)
- 15 (1958年)
脚注
関連項目
- 愛知県出身の人物一覧
- 東京ヤクルトスワローズの選手一覧
外部リンク
- 個人年度別成績 大橋一郎 - NPB.jp 日本野球機構



